僕らの祖先は、海の民【縄文文明/小名木善行】

誇り高い気分と、ロマンチックな気分にさせてくれる。

そんな本を紹介します。

小学校で習った縄文時代はでたらめだった?

縄文時代の人々は狩猟採集によって暮らしていて、弥生時代に大陸から稲作が伝来したことで、暮らしが豊かになった。

小学校で習ったその話を、大きく覆す出土品が近年発掘された。

群馬県の岩宿遺跡で発見された磨製石器。

それは今から3万年前のものだった。

この発見は、人類が磨製石器を使い始めた新石器時代は8000年前のシュメール文明からだという定説を大きく覆すことになる。

私たち日本人の祖先は、とてつもなく古く、そしてとてつもなく優れた文明を築いていた

とても長く、とても平和な時代

今から1万7千年前〜3千年前の1万4千年もの間続いた縄文時代。

長く続いたこの時代の遺跡はたくさんあり、そこから色々なものが発掘されているが、なぜか発掘されていないものがある。

対人用の武器だ。

世界のあらゆる遺跡から発見されている、人を殺すための武器が全く出土されていない。

縄文時代は、人が殺し合うことのない平和な時代だった。

妊婦の身代わり「土偶」

縄文時代の出土品といえば土偶。

妊婦をかたどったと思われる土偶は、一体何のために作られたのか。

様々な説があるが、著者は次の説を推している。

土偶は、妊婦の身代わり。

明らかに意図的に割った状態で分散して埋められている状態で発見されていることから、妻が妊娠したとき、土偶を作り破壊することによって、身代わりになってもらっていたのではないか。

母体も無事なまま、赤ちゃんに元気に生まれてもらいたい。そう願って作られた土偶。

私たちの祖先は、新しく生まれてくる命と、新しい命を生む女性を、社会全体で大切にしていた。

わが子への愛「足型付土版」

縄文時代の遺跡からは、子どもの足形がついた土版が発見されている。

何のために作られたかは不明だが、24〜25歳だった当時の平均寿命から考えると、子どもが無事に生まれ、育っていくのが難しい時代だったことから、こう予想されている。

足型付土版は、亡くなった子どもの足型を粘土版に残したもの。

縄文人たちは、亡くしたわが子への思いを粘土版に残し、大切な思い出にした。

亡くなった子どもへの愛をずっと大切に保とうとする、そんな温かい心を持っていたのが、私たちの祖先だ。

美しい装飾品とともに眠る女性

発掘された縄文時代の女性の人骨には、イヤリングやネックレスのような装飾品がたくさんつけられている。

ヒスイや貝殻で作られたこれらの美しい装飾品は、きっと男性が女性にプレゼントしたものだろう。

年頃になった男の子は、一生懸命貝殻を削ってアクセサリーを作り、女の子にプロポーズした。

今の私たちと同じく、何千年も前の人々も感情豊かに生きていた。

僕らの祖先は、海の民

縄文時代の遺跡のほとんどは貝塚であることから、縄文人たちは海沿いで暮らしていたことがわかる。

当時の海面は現在より約140メートル低かったことから、今では遠く離れているグアム島や台湾に、島伝いに船で行くことができた。

私たちの祖先は、海の民だった。

葦船で島々を移動しながら魚を釣り、海藻を拾う。

私たちの祖先は、島々を渡り歩きながら自然とともに暮らし、「倭(輪)の国」を形成していた。

和をもって貴しとなす

男性は武器を持たず、女性たちは美しく着飾り、豊かな自然とともに平和に暮らしていた日本人のDNAは、現在を生きる私たちにも受け継がれている。

そんな日本人の美しい心を思い出し、誇りを持つことで、希望を持って生きることができる。

日本人がはるか昔から大切に受け継いできた、自然と調和し、平和に、自由に生きる和の文化を次の世代につなぐ。それが今を生きる日本人である私たちの使命だ。

人生で道に迷った時、目をつむって日本の自然と祖先を思えば、きっと答えは見つかる。そう強く思える本でした。

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