心はいつも、渇いています。
原始仏教に学ぶ生きるヒント
生きていれば、毎日悩みは絶えない。
もう少し楽に、朗らかに、優しく毎日を送る方法があるなら知りたい。
ブッダの力を借りましょう。
2500年以上前のインドでブッダが説いていた原始仏教。現代を生きる私たちが幸せに生きるヒントが、ここにはある。
ブッダによると、悩みの原因は全て「心の反応」。
寒くて布団から出たくない。会社に行きたくない。これは心を憂鬱にさせる反応。
相手の些細な言動にイラッとする。これは怒りを生む反応。
私たちの心はいつも反応し、その結果、悩みが生まれる。
心の反応を減らせば、その分悩みも減る。
一緒に心の反応を減らす方法を学んでいきましょう。
悩みの原因は、求める心(タンハー)
悩みをなくすためにはまず、悩みを理解する必要がある。
ブッダは、人間には生きる上で、8つの苦しみがあると説く。
八つの苦しみ(ドゥッカ)(Dukkha)
1.生きること
2.老いること
3.病にかかること
4.死
5.厭わしい者と出会うこと
6.愛する人と別れなければならないこと
7.求めるものを得られないこと
8.ままならない人間の心
これらの悩みを「ある」と認め、「きっと解決できる」と考えるのがブッダの考え方。
解決手順はこうまとめられている。
四つの心理(四聖諦)
1.生きることには苦しみが伴う。
2.苦しみには原因がある。
3.苦しみは取り除くことができる。
4.苦しみを取り除く方法がある。
悩みがあるという現実を見据えて、その原因を理解して、解決への方法を実践しようという最先端の医学にも似た明快な処方箋。それがブッダの考え方。
そもそも、苦しみの根本には何があるのか。ブッダはこう語っている。
苦しみをもたらしているものは、快(喜び)を求めてやまない「求める心」(タンハー)。
タンハーは反応し続ける心のエネルギーのこと。このエネルギーは、①生存欲、②睡眠欲、③食欲、④性欲、⑤怠惰欲、⑥感楽欲、⑦承認欲に枝分かれしていく。
私たちの心には、求める心(タンハー)があり、それが7つの欲求を生み出し、その欲求に突き動かされて、反応している。
求め続けて、いつまでも渇いている、満たされない心(渇愛)を持つ私たちがまずすべきことは、「心とは、そもそもそういうものだ」と理解しておくこと。心とは求め続けるもの。それゆえに渇き続けるもの。
求めても満たされるとは限らないのが心であり、反応してもしょうがない。
心とはそういうものであり、人生はそういうものなのだ。
承認欲、それが一体何なのだ?
悩みの原因は、求め続ける渇いた心。
そこから生まれる承認欲は、現在を生きる私たちにとって大きなテーマだ。
自分を認めてほしい。注目してほしい。愛してほしい。評価してほしい。
この欲求で外の世界に反応すると、「周りは期待に応えてくれない人ばかり」だから不満を感じる。世の中も「なっていない!」と憤慨する。
不満の正体は、「もっと自分を認めてほしい」という承認欲。
ブッダの考え方はまず「理解」すること。繰り返し、言葉で、客観的に理解するように努めることで、反応が静まってくる。
「そうか、私には満たされていない承認欲があるのだ。」「この不満は、承認欲の不満なのだ。」
承認欲という反応の原因がわかれば、「あの人に認められたところで、それが一体何なのだ?」というクールな考えを持つことができる。
合言葉は「それが一体何なのだ?」カッコイイ。ずいぶん楽になれる考え方だ。
心の状態を見る
反応ぜずに、まず理解する。これが悩みを解決する秘訣。
そのためには「心の状態を見る」という習慣が有効だ。
心の状態を見る方法
1.言葉で確認する
2.感覚を意識する
3.分類する
1の「言葉で確認」は、先ほどの「私には承認欲がある」といったように心の状態を言葉で確認する方法だ。特に目を閉じて確認してみると心が落ち着く。
「疲れを感じているな」、「気力が落ちているな」、「私は今、掃除をしている」、「今、歩いている」など、心の状態だけでなく、体の動作も客観的に言葉で確認するだけで、反応から抜け出せる。
2の「感覚を意識する」という方法は、目を閉じて、暗闇の中にある自分の体の感覚を見つめるという方法だ。
手を握ったり開いたりする時の感覚、歩くときの足の裏の感覚を意識することで、ストレスや疲れが溜まった心をリフレッシュする効果がある。
3は「頭の中を分類する」という方法だ。
心の状態を(1)貪欲(2)怒り(3)妄想の3つに分類する。
(1)貪欲 過剰な欲求に駆られている状態。求めすぎ、期待しすぎ。 (2)怒り 不満、不快を感じている状態。イライラしている、機嫌が悪い。 (3)妄想 想像したり、思い出したり、頭の中でぼんやりと何かを考えている状態。
自分に、他人に「求めすぎていないか」。求める心が作り出しているあまり根拠のない「怒り」に反応していないか。無意識のうちに妄想にハマっていないか。
目を閉じて、自分の心の「内側」に貪欲、怒り、妄想を見つけたら、それらが「ある」と正しく理解し、洗い流していけば、心はすっきり軽くなっていく。
「ある」ものを「ある」とだけ、ありのままに、客観的に、主観抜きのニュートラルな目で物事を見据えることが「正しい理解」。
「正しい理解」に「反応」はない。ただ見ているだけ。動揺しない。何も考えない。じっと見つめているだけ。そういう徹底したクリアな心で、自分を、相手を、世界を理解することが、「正しい理解」。
正しい理解こそが苦しみを超える道である。
正しい理解を極めた人であるブッダが到達した境地が「解脱」。そこは「自由」であり「解放」だ。
道を生きる
悩みの正体を知り、目を閉じて心の状態を見て、悩みを正しく理解する。
苦しみがある。でも取り除くことができる。取り除く方法がある。
その方法を、原始仏教では「道」と表現している。
人生で行き詰まった時には、目を閉じ、苦しみを取り除く方法をひたすら実践する。
そんな「道を生きる」という生き方をする決意に立つことができれば、無駄な心の反応はきっとなくなるはずだ。
今年ももうすぐ終わり。無駄な反応を減らして、来年も道を生きよう。
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