時代が変わっても、大切なことは変わらない。
やっぱり楽しい実家の本棚
子どもの頃、父はよく本屋に連れて行ってくれた。
兄と一緒に漫画を選んで父に渡すと、父は自分で選んだ数冊の本と一緒にそれを買ってくれた。今思うと父は月に数冊本を買い、読書をする習慣があったのだろう。
そんな父が買った本のうちの1冊がこの本だ。表紙にチャーリー・ブラウンとスヌーピーが描かれているから、てっきりスヌーピーの漫画だと思って開いた記憶がある。
実際半分は漫画が載っているのだが、当時まだ小学生であまり漢字が読めなかった僕には、意味がよく理解できなかった。意味はわからないのに、なぜか漫画のところだけ繰り返し読んでいた記憶がある。
数十年の時が経ち、この本を買った当時の父と同じくらいの年齢になった僕は、実家の本棚でこの本と再開した。漫画「ピーナッツ」から学ぶ生き方のヒントを、アメリカの精神科医とピーナッツの可愛らしいキャラクターたちが教えてくれる本だ。
改めて読んでみた。とても読みやすく、生きる元気がたくさん湧いてくる。父もきっとこの本から元気をもらったのだろう。
誰もがみんなチャーリー・ブラウン
ピーナッツに登場するチャーリー・ブラウンは、自分をダメな人間だと思い込み、その悲観的な考えのせいで同じ失敗を何度も繰り返す。僕はいつも彼の言動にくすっと笑ってしまいながら、心のどこかで共感し、愛着を抱く。
どうしてそんなに自分のことを好きになれないの?君は自分が思っているよりずっとマシな人間なのに。その思い込みのせいで、うまくいくはずのこともうまくいかなくなるのは当然だよ。もしかして自己嫌悪に陥っている自分に酔ってしまっているのかい?
チャーリー・ブラウンへのメッセージは、いつの間にか僕自身へのメッセージに変わっていた。そう、チャーリー・ブラウンは僕自身だ。
自分に対する思い込みは捨てて、現実をありのままに受け入れれば、全てがうまくいく。少なくとも思い込んでいた時よりはずっと良くなる。
思い込みの原因は全部自分が作り出した妄想に過ぎない。妄想の内容は、「他人が自分のことをどう思っているか」というものがほとんどだ。他人の気持ちなんて確かめようがない。わからないことを気にする必要は全くない。
何を選択し、どう生きるかは自分で決めるしかない。当たり前のことだが、最近ようやくそのことに気づき始めた。
なりたい自分を演じよう
ピーナッツには、チャーリー・ブラウンの他にもたくさんの個性あふれるキャラクターが登場する。
わがままなルーシー、いつも毛布を持ち歩いているライナス、空想好きのスヌーピー、勉強は得意ではないがスポーツ万能のペパーミントパティ、チャーリー・ブラウンのことが大好きなマーシー…。
キャラクターそれぞれが哲学を持っており、その違いから起こるやりとりに笑いが生まれる。その笑いは深い。どの話も間違いなく深い。ピーナッツの作者であるチャールズ・M・シュルツは、人間というものをよく観察して、高度で複雑な心理学を漫画で見事に表現している。
だからこそ、僕たちは時としてチャーリー・ブラウン的であり、ルーシー的であり、スヌーピー的だ。複雑であり単純、大胆であり繊細。誰しもがそんな心を持ちながら生きている。
今の自分の心の状態をピーナッツのキャラクターに置き換えて分析してみるとおもしろいかもしれない。きっと少し客観的に自分を見ることができるから。
ピーナッツに完璧なキャラクターがいないように、現実世界でも完璧な人間はいない。だからこそ自分はこの世界でどんなキャラクターを演じきるかを考えよう。もちろん正解なんてものはなく、難しいが、とてつもなくやりがいがある。何よりも、完全に自由だ。
自分自身と、目の前にある現実をありのままに見据え、今日もなりたい自分を演じる。それに集中することができれば、悩みは今よりずっと減りそうだ。
本を書こう
あの日、父はどんな気持ちでこの本を手に取ったのだろうか。生き方に迷っていたのか、たまたま目に入ったのか、実はスヌーピーファンだったのか。
僕が今住んでいる家の書斎に並べておけば、僕の子どもたちもいつかこの本を開く日が来るかもしれない。その時、この本だけでなくたくさんの本に書かれている大切なことは、どんな時代でも変わらないことにきっと気づくだろう。
改めて本は凄い。著者が亡くなったその後も、時代や国境を越えて、大切なことを伝えることができる。時代は変わるし、そのスピードもどんどん速くなっているけれど、人間として大切なことはきっと変わらない。
死ぬまでに1冊は本を書きたい。そう思った。
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