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メンターがほしい
最近、メンターという言葉をよく耳にする。優れた指導者や助言者という意味のようだ。新入社員や後輩に対して、上司による指示とは別に、先輩社員であるメンターが助言・指導する、メンタリングと呼ばれる人材育成手法を採用している企業もある。
人生で行き詰まった時に、助言や方向性をくれる存在はとてもありがたい。変化の激しい現代を生き抜く上で、メンターはとても重要な存在になってくれるだろう。
今、あなたにメンター呼べる人はいるだろうか。もしまだいなくても、ゆっくり探せばいい。あなたのことを心から理解し、自発的・自立的な成長を促してくれる人物は、そう簡単に見つかるはずがないからだ。
ましてや会社に「あなたのメンターはこの人です。」と勝手に決められた人物に、その人の価値観を押しつけられるなんてことはまっぴらごめんだろう。
自分の人生は自分で選択する。幸せに生きるための大原則を守るために、自分のメンターは自分で探すしかない。
メンターを探そう
メンターに出会う簡単な方法はないか。そこで提案したいのが、「歴史上の人物から複数人見つける」という手法だ。
歴史上の人物であれば、すでにこの世にいない。残っているのは成し遂げた偉業と、それにまつわる物語だけだ。高い志を抱き、時代時代で命を使い切った人物たち。直接会うことができない彼らを、自分の中でより崇高に、より美しく創り上げ、メンターとして助言を乞うのだ。
メンターは1人だけでは物足りない。人にはそれぞれ長所と短所があり、自身の長所を生かしまくった人間が歴史にその名を残している。場面場面によって助言をもらうメンターを変えることで、より鋭い判断を下すことができそうだ。
競争せざるを得ない場面では信長に、リーダーをサポートしなければならない場面では秀吉に、指導力が必要となる場面では西郷に、それぞれ力を借りる。そうすれば自分一人で悩むより確実に早く強い決断ができるだろう。
そんなメンターたちがたくさん登場する、メンターのカタログとも言えるのが本書だ。「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などで知られる司馬遼太郎が、その膨大な作品の中で描いた人物たちの珠玉の言葉が集約されたアフォリズム集。読めばきっと理想のメンターがたくさん見つかるはずだ。
メンターを頼ろう
メンターが増えれば増えるほど、逆に自分の考えが絞られていくことがわかる。相談しながらも、すでに答えは自分の中にあることに気づく。
僕のメンターたちはどんな場面でも、志を立てろ、魂を磨き続けろ、人を愛せ、という3つのことしか言わない。たとえ周りの人から否定されたとしても、そこから外れなければ人の道から外れない。自信を持てと。
もし他人の評価を受け入れ、他人の判断によって人生の決断をしていたならば、彼らは歴史に名を残すことができなかっただろう。極限の状態でも自分を信じることができたからこそ、他の人には成し得ないことが成せた。
自分の人生を自分らしく生きるためにはどうすればいいのか。メンターたちの力を借りれば、自分の中にあるその答えに辿り着けるだろう。
そして気づこう
自分が本当にやりたいことが何なのかわからない。どんな生き方も自分で選ぶことができるはずのに、なぜか生きづらい。息苦しくて、言いたいことが言えない。一方で寿命は伸び続ける。
親からもらった借り物の身体を、命を、魂をどう使い、子孫に何を遺し、何を伝えるか。わからないから聞こう。そのことを考えながら生きて死んでいったであろう先輩たちに教えてもらおう。
僕は選択できる。志を立てず、魂を磨かず、人を憎む生き方を選ぶこともできる。少し前なら、その方が楽だと思っていたし、変えようと思ってもいつの間にかすぐその生き方に戻っていた。
だが今は違う。学べば生き方は変えられる。きっと世界を変えることだってできる。最後に、吉田松陰の言葉を紹介する。
「自分はちかごろこう思っている。志操と思想をいよいよ研ぎ、いよいよするどくしたい。その志と思いをもって一世に跨らんとしている。それが成功するせぬは、もとより問うところではない。それによって世から謗られようとほめられようと、自分に関することではない。自分は志をもつ。志士の貴ぶところは何であろう、心をたかく清らかに聳えさせて自ら成すことではないか」
「世に棲む日日 一」 司馬遼太郎|人間というもの
思い込んで思い込んで思い込んで生きれば、きっと気持ち良く死ねる。今も昔も、それが人間というものだ。
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