ほんとうに望めば行ける街【街とその不確かな壁/村上春樹】

ないものねだりとはわかっていても、その街への思いは募る。

「街とその不確かな壁」を発売日に買った。発売日に小説を買うのは初めての経験だ。

日常で使いたくなる美しい言い回し、すぐに虜になってしまう幻想的な世界観、心を揺さぶる喪失感。600ページを超える長編は、「そうそうこれだよ、これが体験したかったんだよォ!」というファンの期待を全く裏切らない作品だった。

楽しみにしている読者にしっかり応える物書き。そんな生き方を心から尊敬し、強く憧れる。

今作では、主人公の「ぼく」が、現実に存在する街と想像で作り上げた街を行き来する。しかし、2つの街の境界は曖昧で、自由に出入りすることはできない。

想像の中の街は、17歳のぼくと、彼女で作り上げた街だ。彼女が話すその街のことをぼくが詳細に聞き取り、頭の中で精密に作り上げた。

街には壁があり、一度踏み入れると二度と出られない。街の人々は出ることを望まないし、もし出ようとしても、壁がそれを許さない。

行きたいと心から願わなければ、その街に行くことはできない。そこに居るほんとうの彼女に会うためにぼくは街に行き、ぼくのために与えられた仕事をこなす。

別の世界にいる自分を想像したことは誰しもあるはずだ。そこでは全ての願いが叶い、望んだものは手に入る。自分の願望そのものが反映されたその世界にいる自分は、紛れもなく本当の自分だ。

想像は何歳になってもやめられない。年齢が進むにつれて、その世界はより現実的で緻密なものになっていくのは少し寂しいが。

例えば、僕が1日1時間ずつ、6日間ほど費やして読み終えたこの本。会社で働いていなければきっと1日で読むことができた。サラリーマンを辞めた世界にいる僕は、本を読み、文章を考え、絵を描くことに好きなだけ時間を使っている。

ほんとうにそれを望めば、その世界に行ける。確かにそうかもしれない。僕がその世界にいないのは、今の心地良い日々の暮らしに満足しているからだ。

別の世界にいる僕が本当の僕なのであれば、本当の僕は、こちらの世界では生きていくことができない。

物語の中で、別の世界にいるぼくと現実のぼくは入れ替わったり、くっついたり離れたりする。どちらか一方が本体で、もう一方は影、仮の姿だ。

想像の中の街には、時間の概念がない。そこではぼくが、毎日同じ仕事しながら生きている。街の人々はずっと変わらないが、ぼくの気持ちや街の壁は姿を変えていく。

この僕もきっと、ほんとうに望むことで自分の中にある壁を越え、その街に入ることができるのだろう。もっと精密に街の姿を作り上げ、もっとそこにいる本当の僕と対話すれば、きっと街は受け入れてくれる。

いつかその選択ができるようになった時、もう二度と戻ることはできないと知りつつ街に行くか、とどまるか。そもそも本当の自分はどちらなのか。

「本体から離された影は、根を持たない植物のようなもの。長くは生きられないから」

「暗い心はどこか遠いよそにやられて、やがては命を失っていきます」

「あなたの影も遠からず命を落とすでしょう。影が死ねば暗い思いもそこで消え、あとに静寂が訪れるの」

街とその不確かな壁|村上春樹

どうせ生きるなら、明るく生きられる街で生きたい。その街にはいつでも行ける。ほんとうに心から、そこで生きたいと望めば。

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