与えると嬉しい【愛するということ/エーリッヒ・フロム】

勇気を持って、謙虚に生きよう。

30代後半を迎えて、以前よりも他人のためにお金を使うことが増えた。

誰しも年齢を重ねればそうなるのか、少しだけ経済的に安定してきたからなのか、昨今の疫病騒ぎのせいなのか、理由ははっきりしないが、お金の使い道が変わってきたのは確実だ。

同時に幸福感も増した。20代の頃より毎日が楽しいと感じ、感動して涙を流すことも多くなった。

他人に与えることと、幸福感が増えることには相関関係がありそうだ。願わくばその両方をこのまま増やし続けていきたい。

なぜ僕はそんなことを望むようになったのか。それを実現するためにはどうすればいいのか。そして、その先には何があるのか。

答えはこの本に書かれていた。

答えは愛。人間は、人間を愛することを望んでいる。

愛は技術。愛の理論に精通し、愛の習練を積まなければ、正しく愛することはできない。

一つの独立した存在として生まれ、短い人生を生き死んでいく人間にとって、最も強い不安は孤立だ。

人間の、統一のない孤立した生活は、耐え難い牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、外界にいるほかの人びととなんらかの形で接触しない限り、人は発狂してしまうだろう。

愛するということ 新訳版|エーリッヒ•フロム 鈴木晶訳

人間は、人間としての能力を発揮できないほど他人から切り離されると、他人や物事に能動的に関わることができず、生きていけない。

孤立を克服し、孤立の牢獄から抜け出すためには、個人を超越して他者との一体感を得なければならない。人間同士の一体化、他者との融合。それが愛だ。

生きるために、僕たちは愛を学ばなければならない。

他者との一体化である愛。その正しい形はどんなものか。本書においてフロムはこう述べている。

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。

愛するということ 新訳版|エーリッヒ•フロム 鈴木晶訳

愛は能動的な力であり、自ら踏み込むこと。言いかえれば与えることだ。

与えることとは、犠牲にすることでも、貧しくなることでも、苦痛でもない。

生産的な性格の人にとっては、与えることはまったくちがった意味をもつ。与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現なのである。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分の力、富、権力を実感する。この生命力と権力の高まりに、私は喜びをおぼえる。私は、自分が生命力にあふれ、惜しみなく消費し、いきいきとしているのを実感し、それゆえに喜びをおぼえる。与えることはもらうよりも喜ばしい。それは剥ぎ取られるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。

愛するということ 新訳版|エーリッヒ•フロム 鈴木晶訳

物やお金だけではなく、自分の生命すなわち自分の中に息づいている喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなどのあらゆる表現を与えることも、与えるという行為に含まれる。

後者の方がより他人を豊かにし、自分自身と他人の生命感を高めることができる。見返りを求めず与えるという行為自体が、この上ない喜びだ。

最近幸福感が増えてきた理由が少しだけわかってきた。与えるものが増えると、幸せが増える。与え続けることで、きっと幸せで居続けられる。

愛し続けるためにすべきことは何か。

愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。実際には、ほとんどの人は愛を、すくなくとも不完全な形でなら、子どものとき、思春期のとき、あるいは大人になってから、経験したことがあるはずだ。

愛するということ 新訳版|エーリッヒ•フロム 鈴木晶訳

孤立せず今日を生きることができているのは、完全な形ではないにしろ、他者に愛され、他者を愛してきたからだ。僕たちは愛を知っているし、愛することを望んでいる。

愛に熟達するためには、愛に最大の関心を持ち、生活のあらゆる場面において、規律、集中、忍耐の習練を積まなければならない。

さらに、愛するためには自己中心性を脱却し、客観的に考える能力が必要だ。

客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。子どものときに抱いていた全知全能への夢から覚め、謙虚さを身につけたときにはじめて、自分の理性をはたらかせることができ、客観的にものを見ることができるようになる。

愛するということ 新訳版|エーリッヒ•フロム 鈴木晶訳

愛するためには、自分の生活全体をこの目的に捧げ、謙虚さと客観性と理性を育てなければならない。それに加えてもう一つ大事なことは、信じることだ。

愛の習練によって自分の中に作られた芯。その芯によって支えられた自分を信じる。自分を信じることができれば、他人も信じることができる。他人を信じることができれば、世界を信じることができる。

信じるためには勇気がいる。苦痛や失望をも受け入れる覚悟と勇気を持って、世界を信じる。それが愛するということ。

規律ある生活を続け、謙虚に与え続ける人よ。勇気を持って自分を愛し、他人を愛する人よ。あなたはきっと、偉大で正しい。

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