いつの日も 忘れちゃいけない 主体性
1
ジョージ・オーウェルの『1984年』は、オルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』と並んで、様々な本で紹介されているディストピア小説だ。
一度読むと忘れられなくなってしまう未来の世界。この物語がフィクションでよかったと心から思う。もしこんな未来が現実となってしまったら、きっと僕は正気を保てない。
いつ何時も目の監視が止むことはなく、声が耳にまとわりつく。眠っていても目覚めていても、仕事をしていても食事をしていても、室内にいても戸外にいても、風呂に入っていてもベッドで寝ていてもーーー逃れるすべはなかった。頭蓋骨の内側に残されているほんの数センチメートル以外、自分のものと言えるものはない。
1984年[新訳版]|ジョージ・オーウェル 高橋和久訳
本書で描かれている恐るべき管理社会は、単なる空想ではない。過去にはこれに近い状況の国が存在したし、現在と未来にもきっと存在するだろう。世界全体が着々とディストピアに向かいつつあるのかもしれない。
いつか訪れるかもしれないディストピアで人間らしく生きるために、今からできることはないだろうか。
2
僕は今、サラリーマンとして生きている。サラリーマン社会では、上司の言うことは絶対だ。月給をもらって生活している僕は、他人の言いなりになることに慣れている。
思考停止で誰かに従うことには大きなメリットがある。なんといっても楽だ。職場で上司に従い、家でテレビに従い、何か変わったことがあれば政府の言うことに従って行動していれば、自分の頭で考える必要がない。
できるならずっと楽にだらだら生きていたいが、昨今の状況を見るとどうやらそれは難しいようだ。
ビッグ・ブラザーは自分の頭で考えず、周りの人や雰囲気に従って生きている人間から支配し、管理し、コントロールしていく。コントロールされたくなければ、自ら考え、自らの意志で選択し、行動する癖をつけておく必要がある。自分の中に確かな正気の自分がいなければ、あっという間に大きな力に支配されてしまう。
単に言いなりになるのではなく、まずは自分の頭で考え、自分の意思で選択すること。自分の人生は自分の責任で生きるという主体性が、正気の自分を支えてくれる。
3
僕はサラリーマンであると同時に、家族を持っている。
家族というチームの一員である以上、独りよがりはゆるされない。メンバーがそれぞれ好き勝手な行動をしていると、チームの運営はうまくいかない。
家族全員が幸せになるためには、ぞれぞれがぞれぞれのことを理解し、メンバーに尽くさないといけない。自分ではなく誰かのために行動することが、家族と自分自身の幸せを増やすことになる。
そしていずれは自分の家族だけでなく、地域などのコミュニティーにも尽くすことで、より自分の価値を感じることができ、能力も高めることができる。
ビッグ・ブラザーには一人では立ち向かえない。多くの人と信頼関係を築き、自信を持って生きることが、人間として誇らしい生き方だ。
4
自分の頭で考え、主体性を持って生きること。他人のために自分の能力を鍛え、生かすこと。自由に生きられる今だからこそ、人間らしい生き方を身につけておくことが大切だ。
自分は誰も耳を貸そうとしない真実を声に出す孤独な幻。しかし声を発している限り、何らかの人目につかない方法によってでも、真実の継続性は保たれる。他人に聞いてもらうことではなく、正気を保つことによってこそ、人類の遺産は継承されるのだ。
1984年[新訳版]|ジョージ・オーウェル 高橋和久訳
ディストピアは、ゆっくりと迫ってきているかもしれない。僕が生きているうちはそんな未来は来ないかもしれないが、子どもたちや孫たちのことを思うと、自分勝手で楽な生き方は選びたくない。
大衆を煽動しようとしている情報に対し、きちんとその裏側にある意図を考えること。多くの人々が賛成しているからという理由で、思考停止で選択しないこと。主体的に学び、考え、言葉を発する。その積み重ねがきっと、いざという時の勇気になる。
誰かにコントロールされたくなければ、自分を自分でしっかりとコントロールし続けるしかない。
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