いつまでも 続けられるのが 好きなこと
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人気者になりたい。人気者になって、たくさんの人を笑顔にして、前向きな気持ちにしたい。その結果日本がもっと幸せな国になったら嬉しい。
人気者になるためには売れなければならない。売れるためには、売れている人の真似をするしかない。ということはグレイトフル・デッドからマーケティングを学ぶしかない。
グレイトフル・デッドは1960年代に誕生し、アメリカで絶大な人気を誇ったバンドだ。とても長く、多くの人に愛され続けたそのマーケティング手法は、現代でも十分に通用するはずだ。
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グレイトフル・デッドが行ったマーケティングの大きな特徴は、よそとは正反対のことをやったということだ。彼らは従来のやり方を革新し、新たなビジネスモデルを作り出した。
グレイトフル・デッドは、今あらゆるビジネスで注目を集めている「ソーシャルメディア」を活用した最先端のマーケティングの多くを、1960年代にすでに開拓していた。ライバルのバンドと一線を画すようなサービスをファンへ提供するために、ほかでは絶対にやらないようなことに取り組んだ。
グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ|デイヴィッド・ミーアマン・スコット+ブライアン・ハリガン 渡辺由佳里 訳
当時ほかでは絶対にやっていなかった、ライブ録音の許可。商品を無料で提供することで、口コミによってファンがどんどん増えていった。
売れるためには、これまでにはなかった斬新な発想が必要だ。無料で提供して口コミで広めてもらうという手法が広まった現在で売れるためには、これを超えるアイデアを生み出さなければならない。
今それが全く思い浮かばないということは、勉強が足りないということ。学び続けることで、きっと何かが出てくる。まずはそう信じることから始めてみようか。
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グレイトフル・デッドは熱狂的なファンによって支えられていた。彼らはデッドヘッズと呼ばれるファンに対してあらゆることを許し、自主的な行動をとることを奨励した。
デッドヘッズたちはグレイトフル・デッドのファンであることに誇りを持ち、独自のコミュニティを作り上げていった。そしてライブに何度も足を運んだ。
ライブに来てくれたデッドヘッズたちに対して、彼らはほかのバンドとは全く違った体験を提供した。アルバムのオリジナル曲だけではなく、様々な音楽のジャンルを組み合わせた自由な演奏スタイルで、完全に新しい音楽を生み出した。
グレイトフル・デッドは、新しいものを生み出し、それを無料で提供してファンの心を掴み、ファンを大切にすることで売れた。人気者になるためには、所属する人たちが楽しく過ごせるようなコミュニティを作り上げることが必要だ。
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斬新な手法と、熱狂的なファンによるコミュニティによって人気者になったグレイトフル・デッド。彼らの根底には、ヒッピー・カルチャーがあった。
上昇志向を忘れ、他人と比較することをやめる。代わりに、より気持ちよく、より楽しく、より仲良く、へらへらとやわらかくいる。そんな自由な思いが、不安を抱えていた多くの人々を魅了した。
ひとつ際立っていたのは、ステージのジェリー・ガルシアが幸せそうだったことだ。ギターをかきならしながら、大きな笑顔をいつも浮かべていた。インタビューでは、ジェリーもバンドのメンバーも、自分たちのやっていることをいかに愛しているか何度も語っていた。大成功する可能性なんてほとんどなかったにもかかわらず、この情熱があったからこそ、成し遂げることができたのだ。
グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ|デイヴィッド・ミーアマン・スコット+ブライアン・ハリガン 渡辺由佳里 訳
自由に、好きなことを、情熱を持ってやり続ける。その覚悟が強ければ強いほど、人は惹きつけられる。たとえ人気者になれなくても、そんなふうに生きられたらカッコいい。
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