納得の最期を【始末のつけ方/髙取宗茂】

その瞬間 美しいものを 守れるか

僕が生きる意味とはなんだろうか。

30代半ばの男に浮かぶ疑問。

将来への不安による絶望感か、満たされているが故の虚無感か。時々自分が何のために生きているのかがわからなくなることがある。

そんな疑問を持ってしまったら、この本を読むといい。道に迷った時に思い出すべきことが書いてある。

死の間際、自分の人生に納得できるかどうか。ただそれだけにこだわる。そんな男の美学に忠実でいることが、僕の生きる意味だということを知った。

「始末」とは読んで字の如く、「終わり」単体だけでは存在し得ず、その「始まり」からすでに始まっている。そして、自分の人生における様々な「結末」を、きちんとつけることができた、という生き方の美しさを求めることが、男の人生にとっては必要なのである。

始末のつけ方|髙取宗茂

どうやったら自分の人生に納得ができるのだろうか。大勢の人に褒められたら、たくさんお金を稼げたら、僕は満足して死ぬことができるのだろうか。

きっとそれは違う。大切なのは美しいかどうかだ。判断基準をそこに置いてとことん美しさにこだわれば、きっと人生の納得度は上がる。

気持ちいいとか儲かるかではなく、美しいと思えるかどうか。瞬間瞬間に行う判断の根拠を美しさに求めることが、納得して生き、納得して死ぬことにつながる。

この歳になると、自分がこれまで積み重ねてきた行動の結果が、目に見える形で現れてくる。

今の僕を上から眺めてみる。そこから見える姿は美しいだろうか。

見た目はさておき、全然納得できる仕上がりではないことは明らかだ。だからこそ、今日も生きる意味がある。

我々日本人は、自分が信じたもののために命を懸けて闘い、仮に負けてもそこから学び、前を睨んでまた立ち上がる。反省はすれど、自己否定をするだけでは何も生まれないのだ。

始末のつけ方|髙取宗茂

美しさの基準はどこに置いたらいいのだろうか。それは歴史に聞くしかない。僕たちの祖先が実践してきた美しい生き方を大いに参考にさせていただこう。

道に迷った時、足を止め、祖先に思いを馳せてみる。きっと先輩たちは、より美しい方の道を教えてくれる。

僕の体は、親にもらったものだ。親はそのまた親に、親の親はそのまた親に体をもらった。今の僕は、ずっとずっと昔から続いてきて、これからも続いていく長い長い流れの中の、ほんの一部分だ。

偶然借り受けたこの自分。失敗と反省を繰り返しながらも、納得できるまで使って、最後はピカピカに磨いて次に繋がなければならない。

断言するが、人生にとっての成功の定義とは、立身出世を果たすことではない。真の成功とは、自分が息を引き取る時に納得して死ぬことだ。

始末のつけ方|髙取宗茂

僕たちは、たまたまこの時代に、この体を借りて、この社会の中で生きている。これまでとこれからの、ほんの一部を担っている。

長いようでとても短い人生を納得できるまで生き、きちんと始末をつけるためには、1日1日をとことん納得できるものにしていかなければならない。

今日という1日は、自分にとって納得できる1日だっただろうか。毎日問い続け、幸運にも次の朝を迎えられたならば、また納得いくまでその日を生きる。

それぞれが違った形で借り受けている命を、それぞれがそれぞれの磨き方で、納得いくまで磨き続ける。

生きる目的がはっきりした。今日も徹底的に磨いて、徹底的に生きよう。

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