哲学者になろう【新・政の哲学/藤井聡】

僕たちが 求めているのは 真善美

政治家になりたい。そう思ったことはないだろうか。チヤホヤされたい、大した仕事もせずに私腹を肥やしたい、あわよくば誰かが用意してくれた神輿に乗ってその立場を手に入れて、その権力を手放さなず過ごしたい。そんな憧れを抱いたことが、僕にはある。

ああ恥ずかしい。私利私欲だけでそんな想像をしていた僕に圧倒的に欠如していたもの、それは哲学だ。2500年前のソクラテスの時代から引き継がれてきた政治に関わる人たちにとってのたしなみ、政治の哲学。まつりごとの哲学を本書で知ってしまってからは、政治家になりたいなんて簡単に言えなくなった。

たしなみを知らない人間が政治を行なってしまうと、せいぜい誰かの猿マネか、これまでと同じでいいだろうという安易なルーチンワークばかりになってしまう。そんな政治家だらけになってしまったら、その国は確実に落ちぶれていくだろう。

それが現実になりつつある今の日本。僕たちは大人として、最低限の哲学を身につけた上で政治に参加しなければならない。自分の頭を使って考えながら政治を行うことが、自分を、家族を、日本を守ることにつながる。

普通、哲学者といえば、なんだかわけの分からない、ややこしい理屈ばかりこね回している人、というイメージを持っている方は多かろうと思いますが、そうではなくて、いわば宗教的な世界(あるいはソクラテスなら明確に”神”と呼んだ存在)と「ピピッ」と繋がって、聖なるもの崇高なるものが何であるのか、あるいは、何が「真」で、何が「善」で、何が「美」なのかを見分ける魂を持った人のことを「哲学者」って言うんですね。

新・政の哲学|藤井聡

「真・善・美」を明確に区別できる哲学者が政治を行う「哲人統治」こそが、ソクラテスやプラトンの時代から続いている政治哲学の王道だ。

政治を行うべき哲学者とはどんな人物なのか。本書で紹介されている「洞窟の比喩」は、一度聞くと一生忘れられない話だ。

長い長い洞窟の奥で、壁に映った影だけを見て、それが現実だと思い込んでいる多くの人々。ある日、その中にいた一人の人物が、後ろを振り向く。彼はこれまで自分たちが見ていたものは影だったということに気づき、影を作り出していた焚き火の向こうに道が続いていることを知る。

眩しい光が行く手を阻むが、彼は勇気を持って進み続ける。そしてたどり着いた洞窟の出口で、外にはとんでもなく広い世界が広がっていることを知る。真実を知った彼は洞窟に戻り、人々にそれを伝えようとするが、相変わらず影だけを見続けている多くの人々に変人扱いされることになる。

今見ている世界を疑い、勇気を持って後ろを振り返って真実に辿り着こうとした彼のような人間のことを、ソクラテスは哲学者と呼んだ。真実を追求し、人々に伝え目覚めさせることによって、世の中を良くする。政治家になるべきは、そんな哲学を持った人物だ。

日本の現状を見れば明らかだが、哲人政治家はそう簡単には現れない。もしかしたら現れても消されているのかもしれない。

僕たち一般人にできることはまず、選挙で意思表示することだろう。私利私欲のために立候補しているような詐欺師的政治家を代表にしてはいけない。真実を追求しようとしているか?どんな未来にしたいかというビジョンをしっかり描き、人々に伝えようとしているか?どうしても選ばなくてはならないのなら、哲人とまでは言えなくてもせめて嘘つきではない人物を選びたいところだ。

そんな「まだマシ」な候補者すらいない、というのが現状の国民の声のようだ。投票率を見ればそれがよく分かる。投票したい候補者がいないから投票に行かない。それも立派な意思表示だ。

しかし、候補者の話を聞きもせずに、どうせロクな政治家なんかいないと決めつけて、投票所に行かないというのは、一番危険な思考停止だ。そんな思考停止の人間が増えれば増えるほど、自分の欲望だけの候補者と投票者ばかりの体制になってしまう。

投票するのかしないのか、そもそも投票するに値する候補者はいるのかいないのか、その理由はなんなのか。せめてこれぐらいは一人一人の大人が自分の頭で考えた上で政治に参加しなければ、この国はどんどん危険な状態になっていく。

政治とは、二人以上いる集団で何か一つのことをやろうとする時に行う、意見の調整、議論、投票などの振る舞い全てのことだ。

個人個人が好き勝手なことを延々と言い合っていては、場は治まらない。そこで、人智を超えた崇高なるもの、聖なるものと繋がる必要が生じる。人間の頭脳には欠陥がある。だからこそ、それぞれが「真・善・美」、すなわち神様に少しでも近づこうとしなければ、間違った判断をしてしまう可能性が高い。

神と繋がることが政治だ。真実を求め、それを人々に伝えることに自分の命を賭ける「哲人統治」を行うことができる人物こそ、政治家にふさわしい。社会人のたしなみとして、はるか昔から引き継がれてきたその政治哲学を知った上で、僕たちは政治に参加するべきだ。

政治は議会や役所だけで行われるものでははない。一人一人が日常生活の中で哲学者を目指し、哲人統治を行なっていけば、きっと今より良い日本になるはずだ。

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