すべては最高の別れのために【幸せになる勇気/岸見一郎,古賀史健】

今日も明日も、哲学し続けよう。

帰ってきた青年

アドラー心理学に触れ、世界がシンプルであることを知った青年は、清々しい気持ちで哲人のもとを去った。

そう、それはきっと「嫌われる勇気」を読んだ直後の僕のような気持ちだったのだろう。

しかし3年後、青年は哲人のもとにブチギレて帰ってきた。

教師となり、アドラーの思想に基づく教育を実践しようとしたがうまくいかず、失望と怒りに震えながらの再訪だ。

アドラーの思想はペテンであり、害悪をもたらす危険思想であると息巻く青年。エッジの効いた言葉で哲人を罵倒する。

明らかに3年前よりたちが悪くなっている。

一体青年に何があったのだろう。そしてこれは、僕にも起こりうることなのではないだろうか。

アドラーへの誤解

心中穏やかでない青年に対し、哲人は話す。

アドラー心理学を知った瞬間「生きるのが楽になった」と言っている人は、アドラーを大きく誤解している。

人は誰でも今この瞬間から幸せになれるが、幸福とはその場に留まっていて享受できるものではない。踏み出した道を歩み続けなければならない。

アドラーの思想に触れ、幸福への第1歩を踏み出すことができたとしても、人生における最大の選択をしなければ、その道を引き返すことになる。

人生における最大の選択、それは愛。

青年もこの僕も、アドラーを誤解していた。アドラー心理学を実践すれば、その瞬間からすべてうまくいく。そんな幻想を抱いていた。

事実、そうではなかった。確かに、「嫌われる勇気」を読んで心が動いた。少しずつでも実践できるよう努力してきたつもりだった。

しかし、何かがずれていた。そして、少しづつ道を引き返しつつあるような気がしていた。

鍵を握るのは「愛」。青年とともに、もう1度幸せになる勇気を手に入れよう。

幸福とは「共同体感覚」

アドラー心理学の掲げる行動面の目標は、

①自立すること
②社会と調和して生きること

この行動を支える心理面の目標が、

①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識

これらの目標を達成することで辿り着けるゴールが「共同体感覚」。

「共同体感覚」とは、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。「自分の居場所がある」ということは、「自分は誰かの役に立っている」ということ。

「わたしは誰かの役に立っている」という思いが、自分に価値があることを実感させてくれる。幸福とは「貢献感」のこと。別に目に見える形でなくていい、特別な存在でなくてもいい、ただ自分自身が「わたしは誰かの役に立っている」と感じていればそれでいい。

共同体感覚というゴールに、僕たちはどうやったら辿り着けるのだろうか。

これからどうするか

青年は教育現場でアドラー心理学を実践し、挫折した。

僕もまた、共同体感覚への道で立ち止まりつつある。

当然といえば当然だった。

なぜなら、アドラー心理学を本当に理解し、生き方まで変わるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になると言われているから。

道は果てしなく長い。だからといって立ち止まるわけにも、引き返すわけにもいかない。

歩みを止めたら、そこは宗教。歩き続けるのが哲学。

アドラー心理学は「幸せとは何か」を問い続ける哲学だ。「悪いあの人」も「かわいそうなわたし」もいない。

大事なのは、これからどうするか。

僕たちは、それを自分で決める勇気を持たなくてはならない。

他者を尊敬する

哲人は教師である青年に対し、教育者のあるべき姿は、「自分の人生は、すべて自分で決定するものだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料があればそれを提供すること。」であり、そのためには、子供たちを「尊敬」しなければならないと語る。

「尊敬」とは、目の前の他者を変えようとも操作しようともしない。何かの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認めること。

これはそのまま親子関係にも当てはめられる。果たして僕は、幼い彼らを本当の意味で「尊敬」できているだろうか。

子供に対して感情的に怒鳴ったり、無理やり何かをさせようとした後の気分の悪さ。これはきっと、自分自身からの「幸せはそっちではない。」というメッセージ。

僕が行きたいのは、子供たちと一緒に「自分の人生は自分で選ぶことができる」と思える道だ。

他者を愛する

他者を尊敬し、信頼し、交友の関係を築くことで、「共同体感覚」に近づける。

その後議論は「愛」へと向かう。

愛とは、意思の力によって、何もないところから築き上げるもの。

愛することは、愛されることよりも何倍も難しい。

「わたしの幸せ」だけを求めるのではなく、「あなたの幸せ」だけを願うものでもなく、「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それが愛。

「わたし」や「あなた」よりも、「わたしたち」を優先する。人生の主語を「わたしたち」に変えて生きる。

愛は「わたし」からの解放。

己の弱さをアピールすることによって周囲の大人を支配する赤ん坊の「自己中心性」。

ここからスタートした僕たちは、「世界の中心」から出て、世界と和解し、自分は世界の一部であることに了解しなければならない。

他者を愛することによって、人生の主語を「わたしたち」に変え、「自己中心性」から脱却し、自立することができる。

相手が自分のことをどう思っているかなど関係なしに、ただ愛する。相手がどう応えるかは他者の課題。ただ先に自分から愛することが、自分の課題。

愛とは「決断」。自立し、幸せに生きるために、勇気を持って選択した「愛するライフスタイル」の先にあるのが、共同体感覚。

最高の別れのために

愛し、自立し、人生を選べ。

青年は、夜明けと共に結論を得た。

アドラーを知り、アドラーに同意し、アドラーを受け入れるだけでは、人生は変わらない。

最初の1歩を踏み出した後に待ち受けるのは「なんでもない日々」という試練。ここから試されるのが、歩み続ける勇気。

そして哲人は青年に別れを告げる。もし歩みを止めたくなったときは、ここに戻って来るのではなく、新しい時代を生きる仲間たちと語り合い、アドラーの教えを更新してほしい、と。

時間は有限。出会いがあれば必ず別れがある。

人は、別れるために出会う。だからこそ「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾けるべき

哲人が青年と読者に残した言葉はシンプルだ。そしてきっと、僕たちがそう考える限り、世界もシンプルだ。

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