本性を知ると生きやすい【バカと無知/橘玲】

先週に続き、まあまあ嫌な気分になるけどものすごくおもしろい本です。

フェイクニュースで毎日踊る

2年前くらいからテレビを観ない生活を送っている。観ていた頃より明らかに前向きな気持ちで毎日を過ごせるようになった。たまにテレビが垂れ流されている場面に遭遇するが、その刺激的な音と映像に毎回驚いてしまう。こんなものを毎日観ていたら頭が混乱するのは当然だ。

必要な情報は自分で取りにいく現代において大切なことは、必要ない情報をシャットアウトすること。大切な人生の時間を、志のないフェイクニュースに費やすのは余りにもったいない。テレビを消して、そこに生まれた時間と脳の空白で、自分自身を見つめる。そしたらきっともっと生きやすくなる。

だがそんなテレビを今でも多くの人が観ているのは事実だ。そこには人間という生きものの本性が見え隠れしている。本書を読んでそのことがよくわかった。人間とは実にやっかいな生きものだ。

正義ドラッグはやめられない

人間は進化の過程で、長きに渡り150人程度の共同体の中で暮らしてきた。群れでしか生きられない人間にとって、共同体から排除されることは死に直結する。生き延びて子孫を残すためには、目立ち過ぎて反感を買わないようにしつつ、性愛を獲得するために自分の序列を上げていかなければならなかった。

その結果人間の脳は、自分より下位の者と比較する時に「報酬」を感じ、上位の者と比較する時に「損失」を感じるようにプログラムされていった。脳にとって、劣った者は報酬であり、優れた者は損失だ。そしてルール違反をした者を処罰する時には報酬を感じる。「正義」が快感なのはそのためだ。

損失を避け、報酬を得るためには、優れた者を蹴落とすのが一番手っ取り早い。正義を混ぜることでその行為は正当化される。芸能人の不倫や金持ちのスキャンダルを見つけては、社会のために正義の鉄槌を下す。正義はテレビだけでなくネットでも大人気の娯楽だ。

そんな人間の本性を知っている発信者は、今日もせっせと毒をばら撒く。この毒を摂取し続ける限り、周りの人々は全て敵に見え、正義という快感から逃れられなくなる。テレビやネットのくだらないゴシップが映し出す姿よりもずっと、日本は平和で美しい。不要な情報源を絶てば、すぐに誰かに優しくできる。

とっても大事な自尊心

今も昔も、共同体の中では能力のある者が高い地位を獲得する原則は変わらない。地位を少しでも上げて生き残るためには、自分に能力がないことを他者に知られるわけにはいかない。そして僕たちは、いつしか自分の能力を大幅に過大評価するようになった。

一方で、優れた能力があるということが他者に知られると権力者から目をつけられる危険があるため、自分の能力を過小評価するようにもなった。よって、バカは自分が賢いと思い、賢い者は自分はバカだと思うという事態が発生することになった。これが、バカの言うことに賢い者が引きづられ、集団で誤った判断がされてしまうという悲劇を生み出す原因だ。

共同体で生きる中で、他者の評価を敏感に感じとり、上手くやってきた者の生き残りが今の僕たちだ。僕たちの祖先は、生き残る過程で、他者の評価を自尊心に強く結びつけ、自尊心が上がると幸福感を感じ、自尊心が下がることはなんとしても避けるように脳を設計してきた。

これが、自分と同等又は自分が優位だと思っている相手に批判されると頭に血が昇ってしまう原因のようだ。誰もが自尊心が傷つくことを恐れている。この仕組みを知っているだけで、少しは冷静に議論することができそうだ。

お互いの自尊心を傷つけ合わないために、礼という文化が生まれた。礼を体に叩き込み、体が勝手に礼に準じた行動を取ることで、無用な争いを避けることができる。なんとなくギスギスした今の世の中だからこそ、かつての日本の教育を思い出す必要がありそうだ。

そんな僕らはどこへ行く

目立つために自分を大きく見せ、目立たないために自分を小さく見せる。優位な者の序列を下げて自分の序列を上げるため、噂話を流す。自尊心が傷つくことを恐れるあまり、他者との会話では常にマウントを取ろうとする。有利な立場でいるために、強い者や権力者に惹かれる。

これが本書で紹介されている僕たち人間の本性のほんの一部だ。知るだけで自尊心が下がってしまいそうになる。だが逆に、人間なんてそんなものだと考えると気楽かもしれない。

人間は伊達に長い時間かけて進化してきたわけではないようだ。先人たちは、人間という生き物の正体をよく観察し、言葉で残してきた。そして科学は、人間の脳に設計された仕組みまで明らかにしつつある。

僕たちにできることは、脳や体にやっかいな設計がすでにされていることを踏まえつつ、先人たちや現代の科学から学び、納得した人生を送ることだ。変えられないことは変えられないし、少しでも変えられることがあれば変えられるように努力する。

本当に正しいことなんて誰にもわからない。だからこそ人はそれを知ろうとし、正しく生きようとしてきた。正しく生きることは難しいが、正しく生きたいという姿勢は貫きたいものだ。

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