完全に決まっているから、完全に自由。
見た目は遺伝
僕たちの顔は親に似ている。親の顔はその親の顔に似ている。見た目が似ているのは遺伝のせいだということはなんとなく知っているし、目に見えるから納得もできる。
一方で、考え方や言動も親に似ると思うことがよくある。年齢を重ねるとともにだんだんそのことに気づいた。今の僕たちは過去の親たちにそっくりだったりする。
一体どこまでが遺伝で、どこからが遺伝ではないオリジナルなのか。多くの科学的なデータをもとに本書が明らかにした真実は、とても残酷で絶望的なものだ。しかし同時に、それは僕たちに大きな希望をくれる。
知能も遺伝
僕たちは常識として、人の知能には差があるということを知っている。そして知能には、本人の努力や周りの環境だけではどうにもならない領域があることも知っている。
行動遺伝学によると、一般知能の8割、論理的推論能力の7割は遺伝だ。知能の高い親からは、知能の高い子どもが生まれるという事実は、その逆のとても残酷な事実を物語っている。
それだけでなく、知能には人種間で差があるということも明らかになった。人種間で起こる経済格差はこれが原因だ。僕たちが生きる知識社会では、知能の格差がそのまま社会的格差につながる。
親や人種によって、人は生まれながらにして知能に格差がある。受け入れ難いが、これが残酷な真実のようだ。
僕たちはヴィークル
なぜ人は、親から見た目や知能だけでなくたくさんのものを引き継いで生まれてくるのか。
その答えは「進化」。人は進化の過程で、より多く、より確実に、より効率的に遺伝子を次世代に運ぶことができるように脳や肉体を改善し続けてきた。改善結果を記憶した遺伝子は、進化の先端にいる僕たちや僕たちの子どもたちまで引き継がれている。
子孫を残すための合理的な設計がされた状態で生まれ、その設計通りに考え、行動し、子孫に引き継いで、死んでいく。それが僕たち人間だ。進化生物学者のリチャード•ドーキンスはこう言った。「すべての生き物は遺伝子を効率的に複製するための乗り物だ。」
思春期に起こる異性への強烈な衝動、親が我が子に抱く愛情、興味関心を惹かれる物事、これらはすべて、遺伝子の中に組み込まれたプログラムによって起こる。僕たちは、この真実に向き合いながら生きなければならない。
だからこそ自由に
単なる遺伝子の運搬車である僕たちは、時間とともに劣化し、いずれは廃棄処分となる。遺伝子はその間に子どもという新しい乗り物に乗り換える。これまでもこれからも、その繰り返しだ。
永い永い時間をかけて設計され発展してきたコンピュータを授かり、僕たちは生まれ、この世界を壊れるまで走り続ける。だからこそ、この乗り物をうまく乗りこなし、使い切りたい。
どう生きるかは自由だ。祖先から受け取り、今持っているバトンをどう繋ぐか。何を後世に伝えるか。借り物の時間をどう使い切って死ぬか。
幸いなことに、その知恵を先人たちは書物という形でたくさん残してくれている。遺伝子によって完全に運命付けられた人生を、どうすれば自由で幸福に生きることができるのか。本を通して先輩たちと語り合うことで、きっと少しはその答えに近づける。
終着駅に着いたら、綺麗に磨いた借り物の命を笑顔で返す。そんな最期が理想だ。
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