推しの出演は1秒でした。
スラムダンクとの再会
スラムダンクに出会ったのは大学時代。兄が全巻揃えていた完全版を借りて何度も読み返した。バスケ経験はゼロだが、あまりにも魅力的なその世界に強く惹き込まれ、当時大きく心が動かされた。
それから10年以上の時が過ぎ、僕はスラムダンクと映画館で再会した。もともと絶対観たいとまでは思っていなかったが、「映画の主人公は宮城リョータのお母さん」という情報を耳にした瞬間たまらなく観たくなり、劇場に向かった。
「バスケ」、「男子高校生」、「青春」、「個性」といったメインテーマ以外のものを極限まで排除することによって、よりメインを引き立たせているのがスラムダンクという作品だ。そこに「家族」の要素がうまく混ざることはできるのか。宮城リョータを中心にどんな物語が展開されるのか。
そんな期待と不安にいつも100倍の感動で応えてくれるのが井上雄彦であり、クールジャパンだ。脚本、映像、音楽、技術。その圧倒的な完成度に心打たれ、もちろん泣いた。バスケ経験者でもお母さんでもないのに、バスケの試合に出ている我が子の姿を見て涙する経験ができる映画。日本のアニメがここまで進化していたことに衝撃を受けた。
自分と重ねる名もない群集
スラムダンクに登場するキャラクターの多くは男子高校生であり、精神的に未熟だ。未熟だからこそ、純粋に、一途に、夢中にバスケができる。まるでその1分1秒が人生の全てであるかのように。僕たちもかつて持っていたけどいつしか忘れてしまったその激情を思い出せる。それだけでも絶対に観に行く価値がある。
才能はあるが周りと合わせられない人は流川、何かを始めたばかりの人は桜木、組織のリーダーを担っている人は赤木。個性豊かなキャラクターたちのどこか一部分に自分を重ねるのも楽しみ方の一つだ。
僕はというと、映画の中で熱戦を繰り広げている両チームの控えのメンバーに高校時代の自分を重ねた。飛び抜けた才能には恵まれず、体も小さい。舞台に立っているチームメイトをどこか違う世界の人間のように感じている。いつかは俺も…という気概を持って努力しているわけではなく、むしろ出場したら恥をかくかもしれないという不安を抱えている。正に高校球児だった頃の自分そのものだ。
そしてそんな僕が歳を重ねた現在の姿は、インターハイを観ている観客にピッタリ重なった。もはや現役世代ではなく、活躍している若者たちのことを応援するだけならまだしも、評価し、批判までしている。ああ、なりたかったのはこんな大人じゃない。まだ間に合う。その舞台に立つチャンスは、なりたい自分になれるチャンスは、まだきっとあるはずだ。
タイムアウトはもう終了
この映画を観てこんなに心が熱くなれたんだから今だ。何も結果を出せていない現状を変えるには今しかない。書を読み、筆を執り、深く考え、友と語り、機会をつかむ。他人にどう思われようがかまわない。人の道さえ踏み外さなければ、いずれ結果は出る。
スラムダンクに登場するキャラクターたちは、バスケが上手くなって試合に勝ちたい一心で、100%自分のためにプレーしている。周囲の他人たちはその姿を見て、自分の力を最大限まで使って100%チームのために貢献していると感じ、大きな感動をもらう。
個性はチームの中にいてこそ発揮される。チームの中で自分の役割を見つけ、それに全力を尽くすことで、その姿が他人の心を動かし、チームは成長し、自分も他人も報われる。今目の前にある、自分がやるべきことをやらなければならない。その目的が私利私欲ではなく他人のためであれば、人の道からは外れない。
僕たち人間は、大なり小なりチームに属している。チームに足りないものは何か。自分がチームのためにできることは何か。一つでもいいからそれを見つけ、そのために自分を使い切ることができれば、映画に登場する彼らのように輝くことができる。
心と体をガンガン燃やせ
今所属しているチームに、明確な自分の役割があるか。貢献感を感じることができているか。自分がチームメイトに対し、もたらすことができているものは何か。
もし今この問いに即答できないなら、そこは自分がいるべき場所ではないのかもしれない。限られた人生の時間の中で、自分を使い切れる場所は他にあるのかもしれない。
35歳。自分の長所と短所を知り、志を立てる年齢だ。ここまで生きさせてもらったのだから、社会に恩返ししなければならない。自分の魂に従いつつ、他者に貢献する。そう決めると、今よりずっと生きたくなってくる。自然と体は動き出す。
観ると心と体がガンガン動く。正にそんな映画だった。この感動を燃料にして、心と体を燃やし続けよう。選手生命に関わるケガだけには気をつけながら。
コメント